2015年9月12日土曜日

【立山連峰】2015年7月25〜27日 剱岳 八ツ峰VI峰Cフェース剣稜会ルート 〜あこがれの登攀〜

この夏、7月末に初めて行った剱岳の記録。

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「この夏、剱のCフェースを目指さないか?」

入会したばかりの山岳会、T先輩からのメールで全てが始まった。

今年2月、富士山五合目佐藤小屋で飲んでいる時にこのメールを受け取り、私は歓喜した。

岩と氷の厳冬期登山、そしてアルパインクライミング。

ザイルとピッケルの世界に憧れ、

山岳会に入会した俺にこの誘いを断れるはずもない。



剱のCフェースとは、富山県立山連峰主峰、剱岳にある岩場である。

八つの峰が連なることから名付けられた八ツ峰の6つ目、

VI峰の頂上に向かうCフェースと名付けられたこのルートは、

比較的簡単なルートで登攀初心者でも場慣れしたリーダーがいれば登攀可能である。

2月末から早速T先輩指導のもと、ザイルワーク、岩登り、手ほどきを受け、

ついに7月末、本番を迎えた。

7月24日 Day 0


前日夜11時過ぎ、扇沢駅に到着。

この晩はそのまま車中泊。

翌日、T先輩と朝早く合流するため即就寝。

7月25日 Day 1

朝7時、扇沢駅にてT先輩と合流。早速室堂行きの往復チケット(9050円)を購入。

チケットはその場で購入になるが、発券前から長蛇の列になるので早めに並ぶのが吉。

扇沢からは立山黒部アルペンルート(http://www.alpen-route.com/access_new/)で、

黒部ダム、黒部湖、黒部平、大観峰と経由し、室堂に入った。



乗り換えを繰り返し室堂到着。立山三山が良く見える。

ここで既にテンションはMAX!! 

というわけでもなく、初めての登攀への期待と不安、緊張、複雑な気持ちで歩き始めた。



初日、2泊3日分の食料とテントで25kgを超えるザックを背負い、剣沢キャンプ場を目指す。

地獄谷から吹き出す蒸気と硫黄臭の混じった風を肌に受けながら、

まずは雷鳥沢へ。

周りには多くの観光客とカメラを構えた人々、そして少しの登山客が見受けられる。



雷鳥坂とその先の別山乗越。

どこでも、下から見上げると高く見える。

見上げてばかりいると気は滅入るだけなのでさっさと進む。



蒼い空に流れる雲、そして深い緑、最高のロケーション、

重い荷は容赦なく肩に食い込む。


なんとか別山乗越に到着。

雷鳥坂で疲れてはいるものの、そこからの景色で疲れは吹き飛ぶ。


ちょっと隠れてはいるが、剱岳が拝め始めた。

いつもキツイ登りのあとの乗越からの景色は格別だ。


剱沢キャンプ場までは楽な下りが続く。



正面には剱岳が聳える。


1時間もしないで剱沢キャンプ場到着。

テントの数は例年通りだそうだ。

本日はここでテント泊。


とりあえず飲む。


ここまでくると剱岳、源次郎尾根、そして八ツ峰の展望が良い。

若干ガスは出てはいるものの、明日の天気は期待できそうだ。速攻でいく。

この日はこのまま飲み食べ、期待に胸を膨らませ就寝。

7月26日 Day2


朝3時、朝食の準備を開始。

食事をかきこみ、4時出発。天候は良好。


夜明けに黒く佇む剱、存在感は圧巻そのもの。

ここからは剣沢を下降し、出会いから長次郎谷を遡行。


長次郎谷を遡行し始める頃には空が青みを帯びてくる。

雪質は悪くはないが、長次郎左俣にはブロックが残っているとの前情報もあり、

確かにところどころ、雪のブロックが見える。

ガスっていたら登らないよう、山岳警備の方に言われていたのが理解できる。


VI峰Cフェース取り付きまでもうすぐ。


今回の剱岳山行で特にお気に入りの2枚。晴天と雪渓は本当に映える。

長次郎谷を2時間ほど遡行し、Cフェース取り付きに到着。

この遡行には2時間を要した。

剱沢を下降中にT先輩のアイゼンが片方、壊れたのがペースダウンの要因だと思う。




取り付きから、上部を先行しているパーティが見えた。


準備完了。登攀開始。

残念ながら、私とT先輩、二人パーティであったため、

登っているか、ビレーをしているか、どちらかであったため、

写真を撮る余裕がなかった。

加えて、スピードが安全に繋がる、

がT先輩の山理念でもあるため、写真撮る余裕はいつもない。

登攀は快適そのものであった。

実際に岩に取り付くと、恐怖心はなく、とにかく上を目指す。

初めての登攀は爽やかだった。


無事、VI峰登頂。

Cフェース登攀後は八ツ峰上半縦走し、剱岳を目指した。


ところがここからが地獄。

気温はあがり、太陽は容赦なく照りつける。

3000m弱の高所でここまで気温が上がるものかと、気は滅入った。




2週間後に訪れるチンネが見える。

4Lあった水は既に底を尽き、雪渓の雪を頬張りながら先に進む。

寒さはまだ耐えられても、暑さは耐え難い。

まだ歩ける、まだ歩ける、と自分に言い聞かせ、歩き続けた。




池ノ谷乗越にて。

写真を撮れば時間は記録されるのに、なぜか時計を一緒に撮影。

既に意識が朦朧としていた。

いつもは難なく食べられるエネルギーバー、

この時だけは口に入れてもむせるだけで喉を通らない。

唾液が一切出てこないのだ。

この時、初めて、熱中症を覚悟した。

しかし、日を遮るものは何もない。

一刻も早く下山するしかない。

剱岳を越え、別山尾根を南下し、剣沢へひたすら下る。

実はこの時、私にとって劔は初登頂となるのだが、

この時はすでにどうでも良かった。とにかく水を飲みたい。


眼下に小屋が見えた時、本当に心から安堵した。



とりあえず水分補給。500mlのスポーツ飲料を2本、流し込む。


夕陽に染まる剱岳。

長い一日を終え、陽も沈もうとしていた。

小休止をはさみ、ベースキャンプまで戻った。

食欲はあまり沸かず、ありったけの湯を沸かし、コーヒーにし、流し込む。

そしてテントに入ると、そのまま泥のように眠りについた。

Day 3

下山日。

2泊3日、あっという間であった。

下山をする時はいつもどこか寂しくなる。


それでもキャンプ地を離れる前に最後に見た剱岳は、相変わらず雄大で、

また戻ってこいと言ってくれているようだった。

山はいつもそこにある。

次は2週間後のお盆休みのチンネ。

荷物をザックに詰め、剣沢をあとにし、帰路についた。


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実は今回、立山連峰に訪れること自体が初で、

剱岳に登るのも初めてであった。

初剱岳で初の登攀、順序は違いますが、

剱岳も登頂出来、体力的にも精神的にも、

1つ超えることが出来た気がする山行だった。

剱岳、また登りたい。

やまの仲間

つい先程、軽い二日酔いで目を覚ました。

昨晩は、月一回の山岳会の集まりの後、

行きつけの居酒屋で皆と遅くまで飲んでいた。

この集まりは、私にとって一つの心の支えと言っても過言ではない。

一つの共通の意識がある仲間と、一緒に時間を過ごせるというのは、

この歳になると中々多くない。

普段はあまり飲まないが、こういう日は自然と酒の量も多くなる。

その中に一人、この八月末にマッターホルンに登頂したIさんがいた。

話を聞き、より話が現実味を帯びてくる。

フライトチケット    八万円

ガイド代          十五万円

ホテル滞在費        十一万円(十一日間)

その他諸々含めて、全体で五十万弱。

この金額と休みが取れれば、

マッターホルンに登れるのだ。

今行かずに、いつ行くのか。



先日、会社の先輩N氏に、

なぜそこまで趣味に労力を費やすのか、命をかけるのか、

全く理解できない、と言われ、寂しくなった。

そう言われたことに対してではない。

社内でもかなり親しい先輩で、個人的に尊敬していただけに、

その点に関しては分かり合えないと理解してしまったからだ。

N先輩の生き方を否定するつもりはない。

ただ、次の山を考え、想像してしまった時の、

腹の底から沸き上がってくる形容し難い衝動を憶えてしまうと、

もう離れられないのだ。



私にはこういう生き方しか出来ない。

2015年9月8日火曜日

【丹沢】2015年9月6日 西丹沢沢登り 〜マスキ嵐沢、雨と先輩と新しい目標〜

9月6日、日曜日

当初の予定がなくなり、

山岳会の沢登りにご一緒させて頂く事になりました。

マスキ嵐沢、神奈川県の西丹沢エリアにある沢の一つです。

丹沢は東丹沢と西丹沢に大きく別れますが、西丹沢側に来るのは初めてになります。


マスキ嵐沢を遡行し権現山に抜け、そのまま南下し、スタート地点へ戻ります。


ほぼ全行程が登山道無き道を進む山行です。

今回は、先日入会した新人の方々2人に、

今まで教えていたザイルワークを流れで理解してもらうための山行でした。


俺と新人の方2名、そして会の大先輩1人、計4名のパーティです。


朝6時に横浜駅相鉄線ホームに集合、そのまま新松田駅まで向かいます。


新松田駅でバスに乗り換え、大滝橋バス停にて下車。





大滝橋からは大滝沢沿いに畦ヶ丸方面へ北西へ進みます。


途中で沢が分岐するので、そこからマスキ嵐沢へ入ります。




西丹沢の沢は初めてでしたが、全体的に明るく、


水も澄んでいてとても綺麗な沢でした。


それほど危険な箇所もなく、楽しく登れます。


俺は冷え性で水に濡れるのは得意でないのですが、


沢は登ってみると楽しいものです。


実際歩いていると身体も火照り、沢の水が心地よくなります。




1つづつ、滝を確実に超えていきます。


危険な箇所では、ザイルを出し、八の字結びからおさらい。


新人2名を真ん中に、時には俺が先頭を任されながら滝を越えていきます。





最近、岩に取り付くのが楽しくて仕方がありません。


その時無理ならば、それでいいのです。


どこまで行けるか、どこまで登れるのか、とにかく試したいのです。





滝を越えれば、自己確保(落ちないように自分をザイルで固定する技術)


やビレー(次に登ってくる人が落ちないように支えること。リポDのCM)


のおさらいです。




荷物を背負っていると、それだけ負荷、重心も変わってくるため、


より足で登ることが重要になります。


腕に頼っているとすぐに疲れてしまい、クライミングジムとは勝手も異なってきます。





ラストの枯れ滝。まず先輩が登り、皆、後に続きました。


この滝の後は、そのまま北上し、権現岳への登山道へ合流、そのまま権現岳山頂へ。


しかしその後の南西へ入る道がなかなか見つかりません。


夕方で日の入りも迫っていたことから、予定を変更、一般登山道へ出ることにしました。


バリエーションルート(一般登山道ではない道)を進む際は


危機管理と判断が重要となります。




午後5時前には西丹沢自然教室に到着。


そこからバスで2つ先、


中川バス停最寄りのぶなの湯


(2時間入浴700円、土日は19時まで http://spa-tokyo.net/z-k-bunanoyu/index.html


で温泉を堪能後、新松田駅に戻りました。




横浜駅で解散後、俺と大先輩は寿司へ。

山岳会のことや、今後の目標について語ります。


俺がこの日、ずっと先輩に言いたかったこと、


「マッターホルンに登りたい」


この夏、会の中でも2名が登頂に成功し、元々とても興味のある山です。


先輩は一言、


「若いうち、行ける時に借金してでも行け」


海外登山になると実力だけでなく、


時間、遠征費用、そして運(天候)が重要となります。


社会から逸脱しない限り、歳を取るほど、家庭、仕事、


様々な理由で自由な時間はなくなります。


二年前、山を始めた頃は海外登山など考えもしませんでした。


しかし今、きちんとした下準備、プロセスを踏めば、十分可能な話です。


あとは、俺がどれだけ強く、想えるか。


それだけです。


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【コースタイム】
横浜駅  6時
新松戸駅  7時19分 / 7時30分
大滝橋バス停  8時30分 / 8時40分
マスキ嵐沢  9時15分 / 9時40分
二俣手前  11時51分 / 12時6分
奥の二俣  13時
権現山  14時14分
前権現北ルート稜線分岐  15時47分
丸木橋道標  16時20分  
西丹沢自然教室  16時48分 / 17時
中川バス停、ぶな湯  17時20分 / 19時11分(休日最終バス)

2015年9月5日土曜日

みんなの山

おひさしぶりです。

Ryoです。久しぶりの更新となります。

あれから実は山をやめ、下界で暮らす日々を、、、

てはずもなく、しっかり山登ってました。

ただ、いろいろ思う所あり、ブログ更新してなかったんですね。

しかし改めて、また再開したいと思います。

今回はその心境の変化を書き記したいな、と思います。



遡ること去年の春、俺は一冊の本に出会いました。


山際淳司著の『みんな山が大好きだった』





ほのぼのとしたタイトルと暖かいタッチの表紙とは裏腹に、中身は過激です。

氷壁に向かう先鋭的アルピニストが何を想い、どう死んでいったか、記されています。

この本との出会いは、静かな、それでも大きな衝撃で、

俺は厳冬期登山、アルパインクライミングに興味を持ち始めるんですね。

そして去年の末、知識と技術を身につける為、とある山岳会入会を決めます。

山岳会に入ってからすぐ、1人の先輩から声をかけられました、

『次の夏に向け、剱岳のCフェース、チンネを目指さないか?』と。

Cフェースとは剱岳の八ツ峰VI峰Cフェースを指し、クライミング初心者には絶好の岩場です。

そこから半年間、ザイルの使い方、懸垂下降すら出来ない俺を鍛えるため、

その先輩による特訓山行が続きます。

山行がない週末、もしくは平日仕事終わりはクライミングジム通いです。

そして今年の7月、8月、剱岳八ツ峰VI峰Cフェース、そしてチンネ中央チムニールート、

無事登攀してきました。



山岳会に入ってから、山行毎が本当に良い経験で勉強になります。

先輩からの特訓のおかげもあり、剱岳で目標を1つクリアする事が出来ました。

しかし山岳会に入会してからは、しばらくブログを更新する気になれませんでした。

会に入ったばかりで、まだ慣れておらず、自分の山を出来ていなかったからです。

今振り返ると、山岳会に入る前に登っていた山の方が、より自分でしっかり準備をし、

自分で計画を立て、自分で自分の山を登っている、という実感がありました。

俺の意識の問題なのですが、

入会後暫くは、 “山に連れて行って貰っていた”  のです。

当事者意識のない山行ほど危険なものはありません。岩場では即死です。

しかし、7月、Cフェースを登る頃には1つ成長出来ていたと思います。

(先輩に言わせたらまだまだだと思いますが。。)

その頃には、この夏を一通り終えたら、自分の為にもブログを再開しようと思えました。



人にはそれぞれの山があります。

これからも山岳会、山岳会以外、多くの人との出会いを通して

自分の山を登り続けます。

厳冬期剱岳、キリマンジャロ、マッターホルン、

目標は挙げ出したらキリがありませんが、

自分の身の丈にあった山から、着実に登って行けたらと思います。

そして、この場に一つづつ書き記せたら、と思います。

それでは明日の沢登りに向け、寝ます。

おやすみなさい。